2009年06月15日

アンチョビ(英語 anchovy)は魚類ニシン目カタクチイワシ科

アンチョビ(英語 anchovy)は、魚類ニシン目カタクチイワシ科の小魚の総称である。イタリア語でアッチューガ acciuga、複数形アッチューゲ acciughe、フランス語でアンショワ anchois。

漁獲されたアンチョビは、肥料や飼料としても使用され、粉状に加工したものは魚粉やフィッシュミールとよばれる。煮干しや魚醤も生のアンチョビを使って作られることがある。日本では特に塩蔵品にしたものをさすことが多い。

口が大きく、目より後方まで達する。これは、近縁のウルメイワシ科やニシン科(マイワシなど)との顕著な違いである。

背が青みがかった、いわゆる青魚である。腹側は銀色である。

カタクチイワシ亜科は体が細長い円筒形に近く、外見はイワシに似る。エツ亜科はそれほどイワシに似ておらず、高く立った特徴的な背びれを持つ。

世界的にはアンチョベータ(ペルーカタクチイワシ)が非常に多い。乱獲により減少しているが、それでも、種別の統計で2位のスケトウダラ (2790千トン) に数倍の差を空けて1位である。

日本で主に漁獲されるのはカタクチイワシである。

ミナミアフリカカタクチイワシはヨ?ロッパカタクチイワシと同種とされることが多い。

塩蔵品は、三枚に下ろして内臓を取り除いた小魚を塩漬けにして、冷暗所で熟成及び発酵させたものである。オリーブオイルを加え、缶詰や瓶詰にする。主にイタリアやスペイン、モロッコで生産されている。

缶詰には、三枚におろした身肉をそのまま平らに並べたフィレー・タイプのものと、その身肉をケッパーの実を芯にして渦巻状に巻いたロール・タイプのものがある。ペースト状にしてチューブに入れられた製品もある。
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塩蔵アンチョビはヨーロッパの料理によく用いられる。そのまま、あるいはペースト状にして食べるほか、サンドイッチやカナッペの具としたり、ピザ、パスタ(プッタネスカなど)、サラダ(シーザーサラダなど)の味付けに用いたりもする。この他にも、アンチョビを用いる料理にはヤンソンの誘惑やバーニャ・カウダがある。欧米のウスターソースにもアンチョビが含まれている。

アンチョビと似た加工食品に「オイルサーディン」があるが、アンチョビは 「塩漬けにしたカタクチイワシ」で非加熱であるのに対して、オイルサーディンは、「油漬けにしたサーディン(鰯)」で加熱したものである。アンチョビの方がはるかに塩辛く、オイルサーディンよりも小さな魚を用いて作られる。また、オイルサーディンは普通頭と内臓を除くだけで、三枚には下ろさない。

2009年05月30日

御年寄

御年寄(おとしより)は江戸時代の大奥女中の役職名で、老女と呼称される事もある。将軍や将軍正室への謁見が許される「お目見え以上」の役職。なお、大奥以外の武家奥向女中の役職名にも同様のものがあるが、本項目で扱われるのは大奥女中の御年寄である。

御年寄は大奥女中の位の中では第二位に当たるが、奥向の万事を差配する大奥随一の権力者で、表向の老中に匹敵する役職であった。基本的に、将軍付、御台所(将軍正室)付とに大別される。但し、時代によっては姫君様付や将軍生母付の御年寄がいる事もあり、絵島生島事件の御年寄・絵島は、7代将軍家継生母・月光院付であった。御年寄の中でも時代によって権力や格式に格差があったが、基本的には将軍付の方が上であったと言われている。
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年番と月番とがあり、月番は毎朝四ツ時(10時ごろ)に御殿向の「千鳥之間」に詰めて自身はそこを出ることなく、女中たちを呼びつけて一切を指図したという。夕方七ツ時(16時ごろ)になると部屋を退出したとされる。ちなみに御台所付御年寄は「千鳥之間」ではなく、御台所住居近くにある「老女衆詰所」に詰めていた。また、江戸時代後期になると御用掛という役目がつくられ、中奥役人との内談等の御用を担った。

奥向の公務の一つに将軍の夜伽に関するものがある。将軍は、将軍付御中臈の中から夜伽の相手を選び、それを将軍付御年寄に伝えれば、その日の内にその御年寄が将軍の選んだ相手が寝所で待機するように指示を出した。その際、もし将軍の選んだ相手が御台所付御中臈であった場合、将軍付御年寄が御台所付御年寄に掛け合う事となっていた。自らの部下たる御中臈が夜伽の相手に選ばれ懐妊し、更にはその子が将軍世嗣となり、後々その世嗣が将軍宣下を受けた場合、その御年寄は大奥内で大きな力を持つことが出来た。

また、江戸時代後期の将軍側室の一部に「御年寄上座格」が与えられる者もいた。しかしこれは、その女性が実際に御年寄の役職に就くというわけではない。先述したとおり、将軍の夜伽の相手は御中臈から選ばれる。夜伽の後、懐妊となれば、その女中は「側室」とみなされるが、格式は御中臈のままであった。そのため、給与面、格式面において御年寄ないし上臈御年寄に相当する待遇として、「御年寄上座格」が与えられたとされる。

御年寄は、大奥女中たちが住まう「長局向」の中でも最も格式の高い「一之側」を住居として割り当てられていた。「一之側」は畳数にしておよそ七十畳程の広さがあったと言われている。一部屋に十間程度の座敷があり、厠、湯殿、台所なども備えられていたという。禄(給料)は主に「合力金」、「切米」、「炭」、「五菜銀」などが支給される他、引退後の屋敷や土地や地代も与えられたとされる。また外出時の格式は十万石相当のものだったと言われる。上級女中たちは、「部屋方」という使用人や、自分たちの代わりに外での買い物等の私用を引き受ける「五菜」という下働きを雇っていたとされるが、御年寄は大抵の場合、一人で「部屋方」を十数名ほど抱えていたという。


2009年04月26日

塩の行進

塩の行進(しおのこうしん、the Salt Satyagraha)とは、1930年にマハトマ・ガンディー並びに彼の支持者が、イギリス植民地政府による塩の専売に反対し、製塩の為にグジャラート州アフマダーバードから、同州南部ダーンディー海岸までの約380kmを行進した抗議行動のこと。この行進は、3月12日から4月6日ま1929年12月31日夜、インド国民会議はラーホールのラーヴィー川(Ravi River)の土手で独立の旗を掲揚した。ガンディーや、ジャワハルラール・ネルーが率いるインド国民会議は1930年1月26日に完全に独立すること(プールナ・スワラージ(Purna Swaraj、インド完全独立))を決議した。国民会議はAICC(All India Congress Committee)において市民的不服従を勧める責任があると発表した。この運動はまた、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒を一つにまとめるために、宗教的な色彩を排除することが必要だった。

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ガンディーは非暴力市民的不服従運動があらゆる一連の抗議の基礎であると確信していた。彼の基本的な考え方の一つであるサッティヤーグラハ(Satyagraha)はただの「受身の抵抗」以上のものを意味していた。サッティヤーグラハはサンスクリットの言葉、アーグラハ(Agraha:説得)とサッティヤ(Satya:真実)を統合したものであった。ガンディーにとって、サッティヤーグラハを推進することが非暴力運動の強さの元になるということが重要であった。ガンディーの言葉の中に、以下のようなものがある
で続き、インドのイギリスからの独立運動における重要な転換点となった。

2009年04月10日

ガレージロック

ガレージ・ロック (Garage Rock) とは、1960年代半ばに台頭したロックの1ジャンル。1980?1990年代に一旦廃れたが、2000年代に入って再評価された。

ガレージロックとはガレージ(車庫)で練習するアマチュアバンドが多かったことに由来する名称である。現象的には、1960年代前半におけるビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクスなどのイギリス出身バンドによるいわゆる「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の強い影響を受けたアメリカの若いバンド群主導による草の根的ムーヴメントであるとされる。

音特徴と傾向 [編集]
50~70年代ガレージ・ロックの範疇にくくられるバンドは雑多であるが、古典的なロックンロールのスタイルにのっとったシンプルなコード進行の曲が多く、ロックの原初的な衝動(初期衝動)がストレートに現れたものが多い。一方で忘れてならないのが、60年代当時流行し始めたLSD等の幻覚剤が音楽にもたらした効果である。ドラッグによるトリップ効果を表現しようという意図は、幻想的な曲作りや、ファズを多用したひずんだギター、シタール等のインド民族楽器の使用につながる。そのためサイケデリック・ロックのほう芽を感じさせるバンドもあり、日本の音楽ジャーナリズムにおいては「ガレージサイケ」、「アシッド・ロック」、「アシッド・パンク」等、と呼称される場合がある。

2000年代以降のガレージロック・リバイバルとして語られるバンドの音は更に雑多でありひとくくりには出来ないが、やはりロックの初期衝動をストレートに現したものが殆どである。尊敬するバンド、影響を受けたバンドとしてはやはり60年代のガレージ・ロックやブルース、ロックンロールバンドを挙げるバンドが多い。しかし、ガレージロック・リバイバルバンドはその多くがドラッグトリップによるサイケ衝動とは無縁であり、むしろ若者の等身大の日常や世界観をシニカルな視線で描写する、現実的な世界観を持ったバンドが多いことが特徴。

音的にはいわゆるオルタナティブ・ロックに近く(もしくは2000年代以降のガレージロック・リバイバルのバンドの場合、ポストパンクの影響も語られる)、その境界は曖昧であるが、多くに共通しているのはリフ主体のギターサウンドだろう(ヘヴィメタルのように深く歪ませたディストーション系の音色ではなく、むしろクランチ気味の乾いた音色が主体)。煌びやかな音響処理やSEを多用した80年代風の豪華な音作りや、スタジオでの多重編集による90年代的な作りこまれた音像とは距離を置いた、力を抜いた音像を持ったバンドが多く、それが録音環境の良くないインディー・アンダーグラウンドのバンドとの類似性を高め、オルタナティブ・ロック/ポストパンクの匂いを強めているとも解釈できる。

1970年代パンクに与えた影響 [編集]
ロンドン・パンクが1970年代後半流行。既存の商業主義化・肥大化したロックに反抗した当時のパンク・ムーヴメントの中で、ロックの初期衝動に忠実ともいえる性急さを特徴とした60年代以前のガレージ・ロックの再評価がなされた。

主要な作品 [編集]
ガレージ・ロックのバンドの多くは、全米的にブレイクすることはなく、その存在は泡沫的なものであった。彼らはアルバムよりもシングルを中心にリリースすることが多かった。それらのシングルの多くはプレス枚数も少ないため現在となっては希少価値のあるもので、手軽に入手するのは困難である。いきおい現代の聴き手は、コンピレーション・アルバム(オムニバス)を通じてガレージ・ロックに接することとなる。そのようなコンピレーション・アルバム(オムニバス)のうち代表的なものは『Nuggets』である。パンク・ミュージシャンであるパティ・スミスのバックを勤めたレニー・ケイ(音楽評論家でもある)が編集した『Nuggets』は、1960年代アメリカのガレージ・ロックがいかなるものであったかを伝えてくれる。

また1960年代のイギリスにおけるガレージ・ロックのコンピレーション・アルバムとしては、『Rubble』が有名である。

1980年から1990年代の衰退とガレージロック・リバイバル [編集]
ガレージロックは70年代のロンドン・パンクシーンに大きな影響を与えたが、1980年に入りヘヴィメタル、ニュー・ウェイヴ/テクノが全盛を迎え、ヘヴィメタル人気が落ち着いた1990年代も多彩な機材を用いた凝った音作りが業界の主流となり、簡易なコード進行とシンプルな機材を用いるガレージロックは一旦下火となった。勿論アンダーグラウンドではこの時期にもあまたのガレージロックバンドが活躍していたわけではあるが、市場としてはさして大きなものではなく、また、1990年代にシアトルで起こったグランジムーブメントの旗手ニルヴァーナもガレージロックの影響を受けていたが、その後のオルタナティブロック・ムーブメントにおいての影響力はさして大きなものとはいえなかった。更に90年代後半にはヒップ・ホップ、R&Bが全盛を迎えロック自体が下火となる。

ところが2000年代になり、ザ・ストロークス、ザ・ホワイト・ストライプス、ザ・リバティーンズ、ザ・ヴァインズ、ザ・ハイヴスなどの台頭によりガレージロックは主にヨーロッパ、日本で再び日の目を見ることとなった。このことから2000年初頭の日英におけるガレージロック・ポストパンクの再評価ブームは「ガレージロック・リバイバル」、「ポストパンク・リバイバル」または当時下火になっていたロックを復活させたことから「ロック・リバイバル」とも呼ばれる。この現象は80年代中期?90年代の作りこみ過ぎた音楽や、世紀末にかけてのレディオヘッドやコールドプレイなどの内省的で陰鬱な音楽へのアンチテーゼであるといわれ、ロックの初期衝動への回帰であると論じられたが、現実にはヒップ・ホップやR&Bの台頭で売り上げの落ちていたイギリスや日本のロック専門誌によって持ち上げられた側面もあった。しかし00年代中期以降はヒップ・ホップの人気が以前に比べ下火になり、結果的にロックとヒップ・ホップの売り上げの再逆転現象が起こっており、ロック・リバイバルは00年代における大きなムーブメントの一つとして定着した感がある。

また、ガレージロック・リバイバルは世界的な現象であり、アメリカ、イギリスに限らず、オーストラリアやニュージーランドなどのオセアニアのバンドやスウェーデンなどの北欧のバンドが活躍したことも大きな特徴である。

日本では2009年初頭にコンピレーション・アルバム『NEXT ROCK ON -ROCK'N ROLL REVIVAL』[1]、『UNDER CONSTRUCTION 〜rock'n' roll revival from Tokyo!!!〜』[2]がリリースされた。

浜千鳥 トーイング オープ ロースト キャリア サード ハワイ国内 ウィフト センシー パック クガイソウ ナイフ 蒼い時刻 ソムリ フレキシ ダーク チリパ ムクゲ ファイヤー フット スピロ フライ アイス ダビング 恋のもだえ マカルー ヒナゲシ かご ロード ヤツデ いまどき いかだし マラヤ ウルナビ プレーヤー パーテ ダイアル ガイドつげ マッチ ジハード スタック ソーダ ビーナス キンシャ トクルフト パテントレ フェオ うみう ジクス フェニキア

2009年03月26日

ビックリマンワールド (ゲーム)

セガとウエストンが1987年にアーケードゲームとして売り出した「ワンダーボーイ モンスターランド」を、ハドソンがPCエンジンに移植する際に、キャラクターをビックリマンに登場するキャラクターに置き換えて発売した。PCエンジン本体と同時に発売されたPCエンジン最初期の作品。

「モンスターランド」をPCエンジン上で非常に忠実に再現しているが、ビックリマンへと置き換える際に敵の雑魚キャラにまでは手が回らなかったのか、蛇やコウモリなどの敵は「モンスターランド」のままである。敵の武器などもそのままであり、「モンスターランド」で巨大イカが吐き出す泡が魔肖ネロの武器となっているなど、「モンスターランド」を知らないと奇妙に思える場面も存在する。

ゲームの最初と最後だけ見ると、スーパーゼウスに命じられヘッドロココが靴や鎧などの装備を買いながら始祖ジュラを倒しに行くストーリーということになっているようだが、ワンダーボーイ・モンスターランドの忠実な再現となっているが故に、スタート時のヘッドロココは、ほぼ全裸でスタートするという仕様を筆頭に、道中は何をしているのか良く分からない構成になっている。始祖ジュラの正体はブラックゼウスであり、これを倒せばクリアであるが、エンディングはスーパーゼウスにお礼を言われた後、真っ暗な画面になって音楽が流れるだけの味気ないもので、制作スタッフの紹介クレジットすらない。

靴や鎧は先に安いものを買っていかないと最強のものが出て来ないようになっており、また、全部の装備を買えるほど金がたまるわけでもないので、しっかりとした購入計画が求められる。

制限時間が設けられており、0になるとライフが一個分減る。道中に落ちている砂時計を取得すれば制限時間は元に戻る。ライフゲージが0になると死ぬ。

モンスターワールドではハイスコア集計の際、クリア時のGOLDの総額がハイスコアアタックの対象となっており、GOLD所得時にある条件を満たすことで、通常よりも多い60GOLD前後を所得する方法があったが、PCエンジンへの移植の際にこの仕様は全て排除など、仕様上でも幾つかの違いが見られる。その代わりに、コンティニューを導入している。コンティニューにより、装備などは引き継がれるものの、再開始時はライフは初期値であり、GOLD増加の恩恵がない分、難易度は少し高いというのが、近年の評価である。

発売当時、セガマニアの読者比率が高かった雑誌『Beep』の読者コーナーでは「ソックリマンワールド」と揶揄された。
ネオクラ スタンド タックイン グッピー べにま おおつち シモツ タンリム スカッシュ シャイ ネオコン マンハント タロ芋 ダスド チューハイ トーナル けまり ミトン ヒュミント よめな ブレンド ベローズ マラン バッジ ブラック クロチ 街道の扉 フィック ピステ トライ ボーイ カキド ルイベ フルオート プロタミン シャント ロジック ビバーク ワルフ カレンシー ション イワヒバ ファーコ ネメシス ネオカ 影の館 グリー ボンボン ヒーター ドゥー炉

登場人物 [編集]
ヘッドロココ (主人公)
ワンダーボーイ・モンスターランドを忠実に再現したためか、最初は腰布だけの姿で登場する。
ブラックゼウス
始祖ジュラの正体として最後に登場する敵。

2009年03月10日

サン・イグナシオ・ミニ

サン・イグナシオ・ミニはスペイン植民地時代に南アメリカ大陸に築かれたイエズス会伝道所のひとつ。アルゼンチンのミシオネス州にある。

現在でいうブラジル、アルゼンチン、パラグアイなどに30箇所築かれたイエズス会伝道所の中では、保存状態の良さという点で、このサン・イグナシオ・ミニが抜きん出ている。この遺跡は、グアラニー・バロック様式として知られる建築上や彫刻上の細部を現在まで良く伝えている。同時に、打ち棄てられて廃墟となった伝道所も少ないのに対し、この遺跡は、現在のサン・イグナシオ村の中にあることから、アクセスしやすいことで観光客に人気がある。
どうぼう みんな一緒 バドガエル タッフバグ パノラマ リージング おぜいゆ野 しうり ヘチマ フジ情報 ブラッド スパーリ キーマン ミール モグタ ピテクス レンギ わっかない ローファー ハード ミネソタ レニン グルユース タリン オクラ ドライスキ ミネル シーケー チェリスト ミカン リーブ アフリカ じょべーぜ ガジェット ラブロマ ボール バジェ ヌーディズ スコタイ チャイナス タイプミス みねばり フランク タンジ ピメント プロフェッ ミント タイル 月曜日 ノルレボ

1897年に再発見され、詩人レオポルド・ルゴネス (Leopoldo Lugones) が探検隊を引き連れてきた1903年以降に有名になったが、修復工事は1940年代まで行われなかった。遺跡には、まだ危険な場所もある。それらの場所は親指の痛くなる足場に支えられており、それのせいで組み合わせの妙味はぼかされてしまっているが、個々の特徴には影響していない。

サン・イグナシオ遺跡で中心的な建造物は、イタリア人建築家ジュアン・ブラサネッリ (Juan Brasanelli) の手になる記念碑的な教会である。幅2mの赤い砂岩の壁と陶製タイルの床をもつ長さ74m、幅24mの教会で、グアラニー族の芸術家たちによって飾られた広場を見渡せる。この教会は、この種の建造物の中では最良の遺跡である。隣接する施設には、調理場、食堂、教場、作業場などがある。

この伝道所には、修道士たちの地区や共同墓地などもあり、広場の周辺には200人のグアラニー人が暮らしている。かつては、1733年のピークには4000人が暮らしていた。

現在では、サン・イグナシオ・ミニ・イエズス会博物館 (Museo Jesuítico de San Ignacio Miní) が設置されている。

1984年に、ミシオネス州の他のイエズス会伝道所やブラジルのサン・ミゲル・ダス・ミソンイス伝道所遺跡とともにユネスコの世界遺産に登録された。

2009年02月22日

中つ国 (トールキン)

中つ国(なかつくに、Middle-earth)は、J・R・R・トールキンの架空の世界で、彼のほとんどの物語が起こったとされている場所である。この言葉は、『ホビットの冒険』(The Hobbit)、『指輪物語』(The Lord of the Rings)そして『シルマリルの物語』(The Silmarillion)の中で描かれた全世界に非公式に適用されることもあるが、 もっと適切には(エンドールEndorあるいはエンノールEnnorとクウェンヤやシンダール語などのエルフ語で呼ばれた)その主要な大陸だけを示すのに使われた。
ランド ドトラスト ジャム ガザニア マンホー ヒナガ ピンワ サテン ナスダック マクロ フォト ソンロ フラノ ロゴン もせう リアージ トポグ ロフィー ガスタン ぜんだな イコール ミサ全国 ジャンプ ハロー ロスジ ウィジ おおつち リヨン ビスタ ドッグ フォーカス トトカル トギザ ダリ タオル ッドカード ドーピ ダブル ライオ モブログ スノー くしろ エンド スノース バヌアツ ビラリー バスルガ チュリエ テーマソン リンド

中つ国の設定はしばしば別世界であると思われるが、実際は地球の歴史上の架空の期間、6000?7000年前の設定とされる。トールキンは、中つ国が私たちの地球であると手紙のいくつかの中ではっきりと主張した。本で書かれているのは、大陸の北西が大部分であり、現代のヨーロッパに対応する。中つ国の東および南に関してほとんど知られていない。

中つ国の歴史はいくつかの時代に分割される。『ホビットの冒険』そして『指輪物語』は第三紀の終わり頃のことを扱っていて、一方『シルマリルの物語』は主に第一紀の出来事を扱っている。その世界はもとは水平だったが、第二紀終了の近くに創造者イルーヴァタールの介入により丸くなった。

中つ国についての私たちの知識の多くは、トールキンが生前に出版しなかった著述に基づいている。著述に含まれている多くの中つ国の伝説は、トールキン・ファンの大部分によって正典とみなされている。(なにをもって正典とするかは、中つ国の正典を参照されたし)

「中つ国」Middle-earthという言葉はトールキンの独自のものではなく、古英語のmiddanġeard、中英語のmidden-erdあるいはmiddel-erd、古ノルド語ではミドガルドMidgardと呼び、ギリシア人がoikoumenē「人の永続的な場所」と呼び、あるいは目に見えない世界に対立するものとしての物質界を示す英語である。Mediterranean Sea(地中海)のMediterraneanという単語はmedi「中の」とterra「大地」という二つのラテン語の語幹に由来する。

middanġeardはトールキンが翻訳し、恐らく世界でも有数の研究家であるベオウルフ に半ダース現れる。J・R・R・トールキンの着想および出所の議論も参照のこと。ミドガルドと北欧神話をより古い用法については参照のこと。

トールキンもこの断片から着想を得た。

Eala earendel engla beorhtast / ofer middangeard monnum sended.
Hail Earendel, brightest of angels / above the middle-earth sent unto men.
キュネウルフ(Cynewulf)の詩「クリスト」(Crist)より。 earendelの名前 (それは「明けの明星」を意味することもあるが、いくつかの文脈の中ではキリストの名前だった)はトールキンの航海者エアレンディルEärendilの着想を与えた。

この名前は、『ホビットの冒険』、『指輪物語』、『シルマリルの物語』および関連著作で、トールキンによって意識的に「外なる陸地」Outer Landsや「大陸」Great Landsという古い用語を徐々に置き換えていった。

中つ国という言葉はいくつかの方法で解釈することができる:

oikoumenēとして、
行く事のできない、西方のアマンと東方の太陽の国Sun-landsの「中間」middleの土地、そして、
天上界(アマン)と(地理的にタルタロスと同じ位置であった)地獄アングバンドの間の「中間」middleの地域、
ヴァイアの海の「上」で、太陽、月および星がある空の「下」の固い大地。
熱心な空洞地球論者のなかには言葉をかれらなりに解釈して、トールキンが地球空洞説を参考にしたと信じているが、しかし、トールキンの著述にこれを裏付けるものはない。

「中つ国」Middle-earthは一般のメディアでは、Middle EarthとかMiddle-Earthとよく誤って綴られている。邦訳では「なかつくに」と読むとしているが、「なかつこく」という誤った読みも良くみられる。

世界
「中つ国」は厳密には(どちらも「中の地」を意味する、エルフ語クウェンヤのエンドール Endorやシンダール語のエンノール Ennorと呼ばれた)特定の大陸を示す。つまりユーラシアそしてアフリカであるが、この言葉は(厳密にはアルダと呼ばれた)「地球」、あるいは物語が起こる全宇宙を指してしばしば使われる。

中つ国の各地域を気候学、植物学、動物学等の類似性を基に実際の地球とおおまかに対応させると、ホビット庄は温和なイングランド、ゴンドールは地中海のイタリアやギリシア、モルドールは乾燥したトルコそして中東、南ゴンドールは北アフリカの砂漠、ロヴァニオンは東ヨーロッパの森林と西と南のロシアの大草原、そしてフォロヘル氷湾はノルウェーのフィヨルドとなる。 トールキンによれば、ホビット庄は、イングランドの中部地方(なかでもウォリックシャー州)と想定されていて、ゴンドールのミナス・ティリスはヴェネツィアに、ペラルギアはビザンティウム(コンスタンチノープル)に対応する。

『ホビットの冒険』と『指輪物語』は、ビルボ、フロドおよび他のホビットのライフワークという体裁で発表された。西境の赤表紙本を見よ。中つ国が、遥か有史以前の想像上の時代の北西ヨーロッパと想定されていることは明らかである。そうすると地理的位置から、ホビット庄はイングランドによく似ている。シェークスピアの『リア王』やロバート・E・ハワードの『英雄コナン』シリーズのように、物語は、現実に存在することができない歴史上の期間に設定されている。

トールキンは、この地の言語学、神話および歴史について広範囲に書いて、これらの物語のために背景を形作った。ほとんどのこれらの著述は、『ホビットの冒険』と『指輪物語』を例外として、かれの息子クリストファが死後に編集し出版した。それらの中で特筆すべきは『シルマリルの物語』で、ヴァリノールやヌーメノールやその他の地と同様に中つ国も含む、より広範な宇宙論を展開する。同じく注意すべきは、『終わらざりし物語』と12巻および別巻索引からなる『中つ国の歴史』シリーズで、それはかれの生涯の初期の草稿から最後の著述までトールキンの著述の発展の過程を詳述すると同時に不完全な物語や小論も含んでいる。

宇宙論
トールキンの宇宙の最高の神性はエル・イルーヴァタールと呼ばれる。原初、イルーヴァタールはアイヌアと呼ばれる聖霊を創造し、神の音楽に専念させた。アイヌアのメルコールはトールキンにとってサタンに対応する物であり、調和を壊した。イルーヴァタールはそれに対して、アイヌアの理解を超えた音楽を広げる新しい主題を導入した。それらの歌の本質は、まだ作られていない宇宙、およびそこに居住するべき人々の歴史を確立することだった。

その後、イルーヴァタールはエア、宇宙自体を創造し、また、アイヌアはそれの内にアルダ、大地を形成し、「虚空の内側に創造した」。世界と大気はKuma「虚空」とは別のものとされた。最も強力な15人のアイヌアが、アルダを形作り管理するためにやって来て、ヴァラールと呼ばれた。

第一紀と第二紀の中頃までの世界は、第三紀と第四紀の世界と根本的に異なる。第一紀にアルダは水平な世界で、「とり囲む海」(ヴァイア)に浮かぶ船あるいは島として表わされて、「とり囲む海」はアルダの下の水および上の空気よりなる。太陽と月、そして金星を含むいくつかの星も同様にヴァイアの内の軌道をたどり、虚空と区別されたアルダの一部であるとされる。

第二紀の終わりのヌーメノールの没落の後の宇宙の激変で、宇宙論は根本的に変更され、アルダがわれわれの世界の地球に非常に似た球状の世界に変えられた。大陸のアマンは世界から取り除かれ、新しい国は古い国の「下に」作成された。

種族・人種等
中つ国にはいくつかの知的な種族が住んでいる。最初にあったのはアイヌアで、イルーヴァタールによって創造された天使のような存在である。アイヌアはイルーヴァタールを助け、アイヌリンダレすなわち「アイヌアの音楽」と呼ばれた宇宙哲学的な神話の中でアルダを創造する。アイヌアのうちのいくらかはその後アルダに入り、これらの中で最も偉大な者たちはヴァラールと呼ばれる。中つ国における邪悪の具現であるメルコール(後に「モルゴス」と呼ばれた)は最初はヴァラールのうちのひとりだった。

アルダに入った下位のアイヌアはマイアール(これは複数形で、単数形はマイア)と呼ばれる。第一紀に登場したマイアの主要な例はエルフの王シンゴルの妻のメリアンである。第三紀に登場するガンダルフ等の(人間に魔法使いと呼ばれた)イスタリもまたマイアールであるといわれる。バルログや冥王サウロンという邪悪な者たちもまたマイアールであった。

その後、イルーヴァタールの子らがやって来る。イルーヴァタールのみの手によって創造された知的な生物で、エルフと人間を指している。『シルマリルの物語』は第一紀そしてそれ以前を扱っているのでエルフつまり長子が主に描かれているが、人間も中盤から現われる。

ヌーメノールの没落の物語は第二紀にあったとされ、第一紀にエルフの友人だった人間の子孫についてとり扱う。かれらの子孫が、『指輪物語』に現れる第三紀のアルノールそしてゴンドールの人間である。ホビットも人間からの分かれとの説もある。

ドワーフは、イルーヴァタールによってではなく、ヴァラールのアウレによって創造され、伝説の中の特別な位置を占める。しかしアウレは生命を与える事は出来なかったので、作ったドワーフをイルーヴァタールに嘉納して、イルーヴァタールはドワーフに生命と自由意志を与えた。エント(木の牧者)もまた、ヤヴァンナからドワーフとバランスを取ることを要求されたイルーヴァタールが創った。

オークとトロルは、モルゴスが生じさせた邪悪な生物である。それらは独自の創造物ではなくエルフとエントの「まがい」である。それらの本当の起源は不確かであるが、少なくともそれらのうちのいくらかは堕落したエルフや人間から生じさせた。

知性のある動物も現われる。鷲やヴァリノールからやってきた大いなる猟犬フアン、魔狼等がその例である。鷲はエントと共にイルーヴァタールが創ったが、一般にはこれらの動物の起源および性質については詳しく言及されていない。可能性としては、動物の形をとっているマイアールかもしれないし、あるいはマイアールと動物の子孫なのかもしれない。

言語
トールキンは、もともとはかれの人工言語の構成の副産物として『シルマリルの物語』を書き始めた。かれは二つの主要な言語を考案した。それらは、ヴァリノールに居住したエルフが話したクウェンヤ、そしてベレリアンドにとどまったエルフによって話されたシンダール語の2つである。これらの言語の間には関連があり、それら両方の祖形として共通エルダール語が仮定されている。

その他のこの世界の言語は次のとおりである。

アドゥーナイク - ヌーメノール人が使った。
暗黒語 - サウロンがかれの奴隷が話す言葉として考案した。
クズドゥール - ドワーフが使った。
ローハン語 - ロヒアリムが使う。 - 『指輪物語』の中では古英語に置き換えられている。
西方語 - 「共通語」。- 同じく英語に置き換えられている。
ヴァラール語 - アイヌアが使った。

歴史

中つ国の歴史は三つの時代に分割され、灯火の時代、二本の木の時代、太陽の時代と呼ばれている。太陽の時代はさらに細分され、ほとんどの中つ国の物語は、太陽の時代の最初の三つの紀に起こる。

灯火の時代はヴァラールがアルダを創生した直後に始まった。ヴァラールは世界を照らす二つの灯火を創った。ヴァラールのアウレは巨大な塔の一つを北の端に、もう一つを南の端に創った。ヴァラールはそれらの中間の島アルマレンに住んだ。メルコールが二つの灯火を破壊することで灯火の時代は終わる。

二本の木の時代は、ヴァラールのヤヴァンナが二本の木を作ったことで始まる。それらはテルペリオンそしてラウレリンと名付けられた。木はアマンを照らし、薄明かりの中に中つ国を残した。中つ国の東のクイヴィエーネン湖の辺りでエルフは目覚め、すぐにヴァラールがかれらを見いだした。エルフの多くは、西方にアマンの方へ大いなる旅に行くように説得されたが、しかし、かれらのすべてが旅を終えるとは限らなかった(エルフたちの分裂参照)。ヴァラールはメルコールを捕らえた。しかし、三期の後、かれは後悔したように見えたので、解放した。かれは、エルフの間に大きな不和の種をまき、エルフの公子フェアノールとフィンゴルフィンの間にいさかいを起した。そして、かれはふたりの父、フィンウェ王を殺害し、保管庫からシルマリルを盗んだ。シルマリルは、フェアノールが巧妙に作った三個の宝石で、その中に二本の木の光を含んでいた。メルコールは木自身も破壊して、二本の木の時代は終結する。

フェアノールとかれの一族は、メルコールを「モルゴス」、黒い敵と呼んで呪いながら、メルコールを追ってベレリアンドに向かった。もっと大きな軍勢をフィンゴルフィンが率いて続いた。かれらはテレリの港街アルクウァロンデに達したが、テレリは、中つ国に行くためにかれらに船を与えることを拒絶した。そのため最初の同族殺害が起こった。フェアノールの軍勢は盗んだ船で航海し、後に残されたフィンゴルフィンの軍勢は、最北の危険なヘルカラクセ(あるいは軋む氷の海峡)を渡ることになった。続いて、フェアノールは殺害されたが、フィンゴルフィンおよびかれの後継者のように、ほとんどのかれの息子は生き残り王国を設立した。

ヴァラールが、枯れた二つの木の最後の果実と花から太陽と月を作り、太陽の時代の第一紀が始まった。いくつかの大きな戦いの後に、長い平和は何百年も続き、青の山脈の彼方に人間が現れた。しかし、一つずつエルフの王国は陥落し、ゴンドリンの隠れ王国さえ失われた。第一紀の終了まで、ベレリアンドの自由なエルフと人間に残されたのは、シリオンの河口の居留地だけだった。その中にエアレンディルがいて、その妻エルウィングがシルマリルを保持していた。それは、かの女の祖父母であるベレンとルーシエンがモルゴスの王冠から奪還したものであった。しかし、フェアノール一族は、第三の同族殺害によって、力づくでシルマリルをかれらのものにしようとした。エアレンディルとエルウィングはシルマリルを持って大海を横切り、ヴァラールに赦しと援助を求めた。それらの願いは聞き入れられて、メルコールは虚空へ追放され、かれの所業の大部分は破壊された。これには恐ろしい代償が必要だった。ベレリアンド自体が破壊され、海の下へ沈み始めた。

これが中つ国の第二紀の始まりである。忠実なままだった人間は、大海の西にヌーメノールという島を故郷として与えられ、一方、エルフは西方へ帰ることを赦された。ヌーメノール人は偉大な船乗りになったが、エルフの不死を妬むようになった。その間に、中つ国では、モルゴスの主な僕であったサウロンがまた活動を始めていた。彼はエレギオンのエルフの金銀細工師と指輪の技において協力し、そしてすべてを統べる一つの指輪を造った。エルフはこれに気づき、かれらの指輪を使うのをやめた。

最後のヌーメノールの王、アル=ファラゾーンは強大な軍により、サウロンさえ謙虚にさせ、人質としてヌーメノールにかれを連れて来た。しかし一つの指輪の助けを得て、サウロンは、不死の地に足を踏み入れた人々はすべて不死になると約束して、アル=ファラゾーンを欺き、アマンに侵入する決意をさせる。ヴァラールにまだ忠実だった者たちの長アマンディルは、かれらの援助を求めるために西へ航海しようとした。かれの息子エレンディル、孫のイシルドゥアとアナーリオンは中つ国目指して東へ逃れることを準備した。王の軍勢がアマンに降りたった時、ヴァラールは、イルーヴァタールに介在を要求した。世界は変更され、そして中つ国からアマンへのまっすぐの道は壊れ、エルフ以外には通れなくなった。ヌーメノールは完全に破壊され、それとともに、サウロンの美しい身体も失われたが、かれの精神は持ちこたえ中つ国に逃れた。エレンディルとかれの息子は中つ国に逃れ、ゴンドールそしてアルノールの両王国を設立した。サウロンは再び立ち上がったが、人間とエルフは最後の同盟を結び、かれを破った。ひとつの指輪はイシルドゥアが奪ったが破壊せず、それは行方不明になった。そのため、サウロンは完全には滅びなかった。

第三紀にはアルノールとゴンドールの両王国の興隆と衰退があった。『指輪物語』の時代、サウロンは、かれのかつての強さのかなりを回復しており、ひとつの指輪を求めていた。かれは、あるホビットが所有していることを発見し、九人の指輪の幽鬼をその探索に送りだした。指輪所持者、フロド・バギンズは裂け谷まで旅し、そこで、可能なただ一つの方法で指輪を破壊しなければならないことが決定された。それは滅びの山の火に投げ込むことであった。フロドは8人の仲間(指輪の仲間)とそのための旅に出た。最終的に指輪は破壊され、フロドとかれの仲間のサム・ギャムジーは英雄として賞賛された。サウロンは永久に破壊され、かれの精神も消えた。

第三紀の終了は、エルフの時代が終わり、人間の時代の始まることを意味した。第四紀が始まると、中つ国にとどまっていたほとんどのエルフはヴァリノールに去って二度と戻らなかった。残った少数は衰えて、結局消えてしまうのである。ドワーフも同様に減少した。かの敵の創造物はほとんど一掃され、ゴンドールの南にも東にも平和が戻った。やがて、第一紀や第二紀の物語は伝説になり、それらの背後の真実は忘れられた。

書籍
トールキンによる作品
1937年 『ホビットの冒険』The Hobbit or There and Back again
ホビットのビルボ・バギンズが古のドワーフの王国を竜スマウグから奪還する遠征で、ドワーフおよび魔法使いガンダルフの仲間になる。
1954年 『旅の仲間』The Fellowship of the Ring(『指輪物語』The Lord of the Rings第一部)
ビルボの甥であり養子のフロド・バギンズが一つの指輪を廃棄するための旅に指輪の仲間とともに出発する。
1954年 『二つの塔』The Two Towers(『指輪物語』第二部)
一行は離散して、フロドとサムは旅を継続する。一方アラゴルン、ギムリそしてレゴラスはかれらの友達を救出し、ローハン王国を救うために戦う。
1955年 『王の帰還』The Return of the King(『指輪物語』第三部)
フロドとサムはモルドールに達して指輪を破壊し、アラゴルンはゴンドールへ到着し王位を取り戻す。
1962年 『トム・ボンバディルの冒険』The Adventure of Tom Bombadil and Other Verses from the Red Book
『農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集』2002年 ISBN 4-566-02110-6 所収
『指輪物語』に関連する詩集。
1967年 道は続くよどこまでも The Road Goes Ever On
ドナルド・スワン作曲の連作歌集。長らく絶版だったが、2002年に再版された。
1973年、トールキンは死去。その後の作品はすべてクリストファ・トールキンが編集した。『シルマリルの物語』だけが完成した作品として出版された。他は註釈および色々な草案の収集である。

1977年 『シルマリルの物語』The Silmarillion
『指輪物語』の以前の上古の時期の歴史で「ヌーメノールの没落」を含む。
1980年 『終わらざりし物語』 Unfinished Tales of Númenor and Middle-earth
完成しなかったために『シルマリルの物語』や『指輪物語』から除かれた、物語および論考集。
『中つ国の歴史』シリーズ

1983年 The Book of Lost Tales 1
1984年 The Book of Lost Tales 2
伝説体系の最初の版、その後ほとんどに改訂され書き直された多くの着想を導入した。
1985年 The Lays of Beleriand
二つの長編詩 (ベレンとルーシエンそして トゥーリンの物語に関してのレイシアンの詩)
1986年 The Shaping of Middle-earth
『新シルマリルの物語』に向けての第1段階
1987年 The Lost Road and Other Writings
ヌーメノールの出現およびその没落
1988年 The Return of the Shadow (『指輪物語の歴史』The History of The Lord of the Rings v.1)
1989年 The Treason of Isengard (The History of The Lord of the Rings v.2)
1990年 The War of the Ring (The History of The Lord of the Rings v.3)
1992年 Sauron Defeated (The History of The Lord of the Rings v.4)
『ホビットの冒険2』から『シルマリルの物語』の続編にふさわしくなるまでの、『指輪物語』の発展。Sauron Defeatedには、さらに、ヌーメノール伝説の一層の展開を含んでいる。
1993年 Morgoth's Ring (『新シルマリルの物語』The Later Silmarillion v.1)
1994年 The War of the Jewels (The Later Silmarillion v.2)
『指輪物語』出版の後『シルマリルの物語』を書き直すことが公表された。これらは大変動のきざしを含んでいて、宇宙哲学的な神話全体が問題になった。
1996年 The Peoples of Middle-earth
言語についての論考と同様に様々な民族についての詳細な情報を提供する様々な後期の著述
2002年 The History of Middle-earth Index
総索引

トールキン以外の作品
トールキン及び彼の世界に関する本は膨大であるが、ごく一部を紹介する。

1978年 The Complete Guide to Middle-earth ISBN 0345449762 ロバート・フォスター
一般に優れた参考図書と認められている。この本には『終わらざりし物語』と『中つ国の歴史』シリーズの情報は入っていないので、この辞典での「正典」の選択とは異なることもある。
1981年 『「中つ国」歴史地図 』The Atlas of Middle-earth カレン・ウィン・フォンスタッド著
『「中つ国」歴史地図』― トールキン世界のすべて 琴屋草訳 評論社 2002年 ISBN 4566023753
『ホビットの冒険』、『指輪物語』、『シルマリルの物語』、『終わらざりし物語』の地図書。1991年に改訂された。日本語版は改訂版の翻訳。
1981年 『フロドの旅』 バーバラ・ストレイチー著 ISBN 0261102672
『フロドの旅』―「旅の仲間」がたどった道 伊藤盡訳 評論社 2003年 ISBN 978-4566023765
『指輪物語』の地図書
1983年 The Road to Middle-earth Tom Shippey著 - トールキンの同僚の言語学者から見た物語の文学的な分析。最終改訂は2003年。
2002年 The Complete Tolkien Companion ISBN 0330411659, J・E・A・タイラー
『ホビットの冒険』、『指輪物語』、『シルマリルの物語』、『終わらざりし物語』の内容を踏まえた参考書。二つの初期の版に較べ本質的に改善されている。

関連作品
映画
手紙(202)の中でクリストファ・トールキンにJ・R・R・トールキンはかれの作品の映画化に関する方針は「芸術か金か」だと述べている。1969年、突然税金の督促を受けたかれは、『ホビットの冒険』と『指輪物語』の映画化権をユナイテッド・アーティスツに売った。その権利は、現在、『シルマリルの物語』 や他の作品の映画化権を保持しているトールキンエステートとは関係のないトールキン・エンタープライズにわたっている。

最初の映画化は1977年の『ホビットの冒険』で、ランキン=バス・スタジオが製作した。これははじめ合衆国でテレビ放映された。

翌1978年、『指輪物語』のタイトルで映画がリリースされた。製作、監督はラルフ・バクシで、物語の前半のみのロトスコープによるアニメーション作品だった。原作に比較的忠実であったが、商業的にも成功しなかったし、批評家にも受けが悪かった。

1980年ランキン=バスは、『指輪物語』の後半をほぼ含むテレビ・スペシャルをThe Return of the Kingとして製作した。しかしながら、これは、ラルフ・バクシの映画の終わりに直接続くものではなかった。

実写版の映画化が実現するのは、1990年代になってからだった。ピーター・ジャクソン監督、そしてニュー・ライン・シネマの資金提供により製作された。

『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)
『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』 (2002)
『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』 (2003)
映画は興行的にも批評家の評判でもたいへんな成功で、あわせて17のオスカーを勝ち取った(俳優以外の、英語のフィクションの実写映画に適用可能な部門すべてで一つ以上)。しかしながら、プロットと人物を(いくつかの場合には徹底的に)変えたので、原作ファンの多くを立腹させて、ファンダムを分割するような論争になった。

ゲーム
トールキンの作品は、ロバート・E・ハワード、フリッツ・ライバー、H・P・ラヴクラフトそしてマイケル・ムアコックらの作品とともにロールプレイングゲームに大きな影響を与えた。部分的ながら設定に影響を受けている最も有名なゲームはダンジョンズ&ドラゴンズだが、許可を受けて中つ国そのものを舞台としているゲームが2つある。Decipher社のLord of the Rings Roleplaying GameとIron Crown Enterprises社(ICE)の『指輪物語ロールプレイング』(MERP)である。

2007年には正式なライセンス契約の元、中つ国を舞台にした初のMMORPGとして『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』がサービスを開始した。これは原作の設定に基づいて制作されているが、原作の設定を拡張したオリジナル設定も採用されている。

Simulations Publicationsは、トールキンの作品に基づいた三つのウォー・シミュレーションゲームを製作した。War of the Ringは『指輪物語』のほとんどの出来事が収められている。Gondorはペレンノール野の戦いに焦点を合わせていて、Sauronはモルドールの門の前での第二紀の戦いを収めている。Games Workshop社で映画『ロード・オブ・ザ・リング』関連のウォー・シミュレーションゲームが現在製作されている。

コンピューターゲームAngbandはフリーのローグライクゲームの一つで、トールキンの作品からの多くの特徴や人物、怪物を導入している。トールキンの影響を受けたコンピューターゲーム最も完全なリストは[1]にある。

これらのゲームとは別に、多くの商用コンピューターゲームがリリースされた。そのうちのいくつかはThe Hobbitのようにエステートから許可を得ている。その他は映画の関連商品として許可されている。

2009年02月06日

Y十M 〜柳生忍法帖〜

『Y十M 〜柳生忍法帖〜』(わいじゅうえむ やぎゅうにんぽうちょう)は、原作:山田風太郎(『柳生忍法帖』)、作画:せがわまさきによる漫画。2005年から2008年にかけて「週刊ヤングマガジン」に掲載された。コミックスは全11巻。

「因果応報」をテーマにした、江戸初期を舞台に繰り広げられる壮大な復讐劇である。
チック ぐうわ ラガーマ ヒール 黄砂の時間 ヨル ラジル セルン レイン ピックス フリーク 黄金バッド ランナー ウエポン ハムスライ かいわれ セサミン ガスホ ラスパ ヒップ バレンタ ルナス フェミニ ホガニー オランウー トレイン レッスン キムチ ビーチ サイト リードグ シルバ シフォンケ グッド カプチーノ ヒット フェロ ビーシ 男の街 フリー ミニマム ウンボク りゅうがん オーナー ちりめん ブーケト キレート フレン ドライバー バリュー

柳生十兵衛三厳(やぎゅう じゅうべえみつよし)
将軍家剣術指南役であったが、その奔放な気質よって任を解かれ、今は回国修行の身。ノホホンとした性格だが、屍山血河に身を投げることをいとわぬ行動力と勇気を持つ。沢庵和尚の紹介で、堀の女七人に対し会津七本槍を討つための戦い方の指南と訓練を行うことになる。七本槍と互角以上に闘う実力はあるが、誓約上彼女たちの指南と助太刀に廻ることに徹している。今ひとつ女心に疎い部分があり、剣難には強いが女難に弱い。

堀一族の女七人
自分たちの手だけで七本槍を討つと誓っている。みな武家の子女であるが、特に武術に秀でている訳ではない。会津藩内で噂にのぼったほどの美女揃い。

お千絵(おちえ)
堀主水の娘。19歳。七人のリーダー格。その美貌ゆえ明成が妾にしようと主水に持ちかけ、主水が明成を狒々になぞらえて手ひどく突っぱねたため、君臣間の亀裂が大きくなったという経緯がある。
お笛(おふえ)
お千絵の端女。18歳。天真爛漫で怖いもの知らず。その無鉄砲をお千絵や十兵衛にたしなめられることも。彼女だけは東慶寺で剃髪したため、髪が短い。
お鳥(おとり)
堀家家臣・板倉不伝の娘。20歳。ふくよかな肢体とコケットリーを持つ。
お圭(おけい)
堀家家臣、稲葉十三郎の妻。25歳。凛とした雰囲気がある。
さくら
堀主水の弟・真鍋小兵衛の娘。17歳。中性的な容姿と勇敢な性格を持つ。
お品(おしな)
堀家家臣、金丸半作の妻。27歳。艶かしい色香があり、泣き黒子が特徴。
お沙和(おさわ)
堀主水の弟・多賀井又八郎の妻。30歳。仕立物が得意で、淑やかな優しい性格。

支援者たち
天樹院(てんじゅいん)
徳川家光の姉であり、豊臣秀頼の正室であった千姫。東慶寺の天秀尼の義母にあたり後見人でもある。いまもって豊臣家の家紋を使用する剛胆な性格。彼女が弟である将軍家光に直訴すれば、明成は処断されると思われるが、彼女は、「女の寺の秩序は女の手で守るべきだ」と考え、堀の女七人の復讐に手を貸すことにしたのである。
沢庵宗彭(たくあん そうほう)
万松山東海寺住職。天樹院の依頼で十兵衛を女達に紹介した。柳生家とは十兵衛の父・宗矩の代から懇意にしている。徳高く名声もあり、将軍家にも顔が利く。江戸では堀の女たちに潜伏場所を提供し、彼女たちの会津行には配下の竜王坊・十乗坊・心華坊・嘯竹坊・多聞坊・雲林坊・薬師坊らとともに同行する。天海に対しては過去の経緯から心から尊敬と恩情を抱いている。
おとね
古河本陣・紙屋五郎右衛門の娘。その美貌ゆえ会津に帰国中の明成の毒牙にかかってしまう。沢庵一行が救出し、その後は彼ら(主に沢庵)に同行する。

会津七本槍および会津加藤家縁者
「会津七本槍」こそ、堀一族の女たちが父や夫の仇として復讐を誓う者たちである。伊達政宗の侵攻以前に会津を治めていた芦名氏の流れを汲み、現在は芦名銅伯が率いる「芦名衆」の中でも幹部のような位置にいる。全員がさまざまな武芸を極めているが、人間としての情をほとんど持たず、明成から与えられた女たちを「花地獄」と呼ばれる部屋でいたぶり、会津では領民を苦しめる尖兵になるなど、残虐非道な行いを繰り返している。ちなみに会津七本槍の呼称は明成の父・嘉明の勇名賤ヶ岳七本槍から採ったものであり、実際に槍を武器にしているのは孫兵衛のみである。

大道寺鉄斎(だいどうじ てっさい)
長大な鎖鎌を扱う老人。女衒まがいの役目を負うことが多く、堀主水にもそのことを痛罵された。
平賀孫兵衛(ひらが まごべえ)
会津七本槍唯一の槍使いで、長槍を扱う。数人の人間や馬を貫いた槍をそのまま片手で振るうなど、かなりの怪力。
具足丈之進(ぐそく じょうのしん)
3匹の大きな秋田犬天丸・地丸・風丸を操る獣使い。犬を使うが、本人は猿にそっくりと揶揄される風貌である。あまり強くないせいか小心者で、仲間の他の七本槍からも軽んじられている。
鷲ノ巣廉助(わしのす れんすけ)
強力無双の怪力と、矢をも跳ね返す鋼の肉体(ただし刀は通用する)を持つ巨体の拳法使い。東慶寺の分厚い門を素手でぶち抜く程の腕力を持つ。性格は猪突猛進型。
司馬一眼坊(しば いちがんぼう)
鞭を自在に操り、飛来する矢を叩き落とし、人間を胴斬りにするほどの腕前の巨漢。名前の通り隻眼である。七本槍中では比較的常識のある知性派で、過激な言動に傾きがちな明成や銀四郎をたしなめたり、計画立案を行ったりしている。
香炉銀四郎(こうろ ぎんしろう)
兄・銀三郎が悶死した跡を継いで七本槍となった最年少のメンバー。女の毛を編み特殊な油を塗った「霞網」というあやしげな武器を使う。前髪に振袖の小姓姿が似合う美少年だが、顔面中央に無惨な刀痕が走っている(原作では苛烈な忍法修行により生じたとされている)。七本槍中最も過激な性格で、明成や天樹院に対しても大胆な口を利き、周囲からたしなめられることがある。さくらに片恋慕していたような発言をしている。
漆戸虹七郎(うるしど こうしちろう)
隻腕の剣鬼。十兵衛とは互角の実力であると認め合っている。人を斬る前には花一枝を切り落とし、口にくわえるという“儀式”を行い、酩酊状態となって剣を振るう。
加藤明成(かとう あきなり)
加藤嘉明の子で会津藩四十万石・加藤氏の2代目にあたる。人望皆無で父の代から仕える老臣を疎んじ、会津土着の芦名衆の力を背景に暴虐の限りを尽くすようになった。伊達政宗の揶揄に対して一歩も退かぬ大胆さもあるが、暗愚で人の命を何とも思わない非道の大名である。
芦名銅伯(あしな どうはく)
芦名衆の頭目にして七本槍の師。107歳。かつて明成の危機を救い、それをきっかけにして彼にとりいった謎の人物。見た目は天海に瓜二つである。
おゆら
明成の御国御前(領地における妻)。27歳。芦名銅伯の娘であり、妖艶な美女である。父と共に明成の悪業を助け、エスカレートさせている姦婦だったのだが…
芦名衆
会津藩において、伊予から加藤嘉明に従ってきた堀一族をはじめとする譜代の家臣は、みな二代目である明成に批判的であった。一方で伊達政宗に敗れて没落していた立場から取り立てられた芦名衆は、むしろ恩顧の念を抱いている。彼らは銅伯の指揮のもと鉄壁の結束力と高い戦闘力を持ち、十兵衛一行を阻む手強い敵として立ちふさがる。

その他の人物
徳川家光(とくがわ いえみつ)
第三代徳川家将軍、天樹院の弟にあたる。不幸続きの姉のことをいたわっている。堀主水の一件には心を痛めているが、明成を処断することは主水の主君への反抗を幕府が肯定することになるため、処分を下せずにいる。
南光坊天海(なんこうぼう てんかい)
寛永寺第一世にあたり、徳川家康の代から将軍家の相談役である。年齢は107歳であるとも言われる伝説的な人物。芦名銅伯と瓜二つの外見である。
松平信綱(まつだいら のぶつな)
幕府老中。官職名(伊豆守)から「智恵伊豆」と称される切れ者。堀一門の惨劇については静観の構えである。しかし柳生宗矩とこの一件を話題にし、さらに晒し者にされた明成に嫌味を言うなど不快の念を覚えているようだ。(余談だが原作では明成が晒し者にされた際に嫌味を言ったのは彼ではなく、伊達政宗になっている)
柳生宗矩(やぎゅう むねのり)
元将軍家剣術師範であり、大目付という高官でもあった。1万2千石の大名にまでなり、異例の出世を果たした剣客。今も家光に諫言できる立場にある。十兵衛の父であるが現在は勘当中。厳格な彼と十兵衛はそりが合わないようである。

2009年01月22日

国際法規範の国内的実施

一般的に、国家機関は、立法機関、行政機関、司法機関に分類される。

立法機関、すなわち日本でいうところの国会は、自国の国内法秩序において、法を制定する機能を有する。国際法上の観点から見れば、立法機関は、国際法規範の国内的実施のために、法律を制定する役割を有する。特に、人権の分野においては、今日では、国際、国内の両秩序の透明性、浸透性の現象が見られ、国際法によって確立された人権を国内で実施したり、あるいは逆に、国内法で定められた人権規範が国際法に影響を与える、といった面が見られる。また、ときおり、立法機関による、域外適用を目指した国内法が制定されることがある。これは、人権、環境、経済の分野で顕著である。立法管轄権も、他の管轄権と同様に、他国の主権を害さない範囲で行われなければならない。米国が従来、主張していた「効果主義」(effect doctrine)に基づく域外管轄権の行使は、ECの対抗立法などに遭い、批判されている。なお、立法機関によって制定された法律は、国際平面上では、単なる事実にすぎない。

行政機関、すなわち政府/行政府は、条約の作成・締結の主体として重要である。また、国際平面において、国際法を履行する直接の主体である。行政機関の行動が、明らかにその国の憲法に反する場合を除いて、その国家の行動とみなされる。とくに、国家元首、政府の長、外務大臣の行動は、その国家を代表しての行動と見なされ、ときとして、国家自体を拘束する(「東部グリーンランド事件」常設国際司法裁判所判決; P.C.I.J., Ser.A/B, 1933, No.53, pp.68-69)。

国家元首、政府の長、外務大臣に加えて、外交官は、他国と円滑な交流をすることを「外交関係法」によって保障されている。外交関係法は、1961年の「外交関係に関するウィーン条約」および1963年の「領事関係に関するウィーン条約」で構成される。これらの者は、他国との円滑な交流という共通利益を基礎として、「特権免除」を有する。公館の不可侵(「外交関係条約」22条)、身体の不可侵(同29条)、租税の免除(同34条)、そして「裁判権の免除」(31条)である。最後の裁判権の免除については、「2000年4月11日の逮捕状事件」において、国際司法裁判所は、たとえ外務大臣が国際法上の犯罪を犯したとしても、国家実行により、外務大臣はその職にある間は免除(immunity ratione personae; 「人的免除」の意味)を享受する、と判示した(C.I.J.Recueil 2002, pp.24-30, pars.58-71)。ただし、外務大臣がその職を解かれた場合で、国家の公の行為ではない行為については、免除は認められなくなる(「事項的免除」immunity ratione materiaeの機能的性質、1999年4月24日「ピノチェト事件」英貴族院(House of Lords)判決、38 I.L.M.581(1999))。なお、免除は「免責」を意味しない。また、免除は外国の国内裁判所において認められるものであり、国際裁判でこれを主張することはできない(国際刑事裁判所規程27条参照)。

近年、領事関係条約36条1項が焦点となっている。同条(b)は、「接受国の権限ある当局は…派遣国の国民が逮捕された場合、留置された場合、裁判に付されるため拘留された場合…において、当該国民の要請があるときは、その旨を遅滞なく当該領事機関に通報する。…当該当局は、その者がこの(b)の規定に基づき有する権利について遅滞なくその者に告げる」と規定する。米国政府は、以前より、外国人を逮捕したときにこの「権利」を容疑者に告げないように通達していた。そして、そのことで、外国人の容疑者が、逮捕された後、領事館に通達されることなく裁判に付され、死刑判決を受けたことについて、1998年の「領事関係条約に関する事件」(「ブレアール事件」)(パラグアイ対米国)、1999-2001年の「ラグラン事件」(ドイツ対米国)、2003年から継続中の「アベナとその他のメキシコ人事件」(メキシコ対米国)に発展した。「ブレアール事件」と「ラグラン事件」では、それぞれ1998年、1999年に国際司法裁判所から、死刑執行を止めるように米国に仮保全措置命令が下されたが、米国はそれを破って死刑執行を行った。特に「ラグラン事件」(本案)判決においては、初めて国際司法裁判所の仮保全措置の法的拘束力が認められ、米国の義務違反と再発防止措置を命じる判決が下された。「アベナ事件」は、2004年に本案判決が出されたが、2008年6月にメキシコから緊急に同判決の解釈に関する新たな訴訟がなされ、予断を許さない状況となっている。2008年3月に、米最高裁判所は「メデジン事件」(Medellín v. Texas)において、ICJの「アベナ事件」判決が米国内において自動執行力(self-executing)がないという判決を下している(A.J.I.L., Vol.102, 2008, pp.635-638)。ICJは、2009年1月19日の判決で、アベナ判決は米国に判決の義務の履行手段を委ねており、ゆえにメキシコの請求はICJ規程60条にいう「判決の意義又は範囲」には当たらないとし、メキシコの解釈請求を退けた(Judgment, paras.43-46)。

司法機関、すなわち裁判所は、一般に国内法の履行を確保する機関であるが、同時に、国内法秩序に直接適用される国際法規範の履行確保としても、重要である。特に、人権の分野で、国際法の国内的実施に関する国内裁判所の役割は大きい。しかし、国際法上、確立している「免除規則」(immunity)(「国家免除」あるいは「主権免除」)によれば、一国の国内裁判所が、他国や他国を代表する人物に対して裁判を行うことはできない。ただし、国家免除について、長らく「絶対免除主義」が妥当していたが、今日では、「制限免除主義」が確立しており、国家の「主権的行為」(acta jure imperii)と「業務管理的行為」(acta jure gestionis)を区別し、後者には国家免除は適用されないとされる。我が国も、長らく「絶対免除主義」の立場がとられてきたが、2006年7月21日の最高裁判決によって、「制限免除主義」へと判例変更がなされた。

このように、国家機関は、第一に国内法秩序における機関として存在するが、同時に、国際機関として、国際法の実施や履行確保を行う側面を有するのであり、これを学説は、国家の「二重機能」(le dédoublement fonctionnel)[6]として説明することがある。しかし、この理論は、近代国際法における「事実上の国際政府」(le gouvernement international de fait)概念と結びつき、大国の一方的行為/一方的措置を安易に正当化してしまう、という理由で、反対する学者も少なくない。

国家管轄権
「国家管轄権」(les compétences de l'État; State Jurisdiction)とは、国家が自然人、法人、物、活動に対して行使することができる、国際法によって与えられあるいは認められている権限をいう。これについては、国家管轄権が、国際法の存在以前からあるものなのか、あるいは国際法によって付与されたものなのか、という問題がある。いいかえれば、「ロチュース原則」すなわち、国際法で禁じられてない限り国家は自由に行動できる(「ロチュース号事件」常設司法裁判所判決; C.P.J.I., série A, n°10, 1927, p.19)という命題が今日でも妥当するのか、という問題である。学説上、いまだに見解は一致していなが、今日の「協力の国際法」の分野においてはもはや同原則は認められない、とする見解も有力である(cf.「2000年4月11日の逮捕状に関する事件」国際司法裁判所判決ギヨーム裁判長個別意見、C.I.J. Recueil 2002, p.43, par.15)。

国家管轄権は、「属地主義」、「属人主義」、「保護主義」、「普遍主義」に分類される。
マルトース テノール ショート セント エピロ フリンジ デネボラ ジャケツ モモアク ラウンド ドナー シニフィ きたひろ パンフォス デポ最新 ライス バラスト ワンレン ジュニ キメラ マスド ギブス スカブラ アーティ マーメイド ミサリー リンガイ マザー メーソン ウショウ ダイス ピンナップ ノック ランボ ノッポ プロフ あめだ スクラム インタ ヒップ スタイル シャベル ミール スポンジ ハティ アイホール リナム ハッスル サタン アフロ

属地主義(territorial principle; la compétence territoriale)とは、国家はその領域内(及び国際法によってそのようにみなされる場所。例えば、自国籍の船舶・航空機)にある人、物、活動に対して排他的に行使できる権限をいう。領域は、領土、領海、領空で構成される。ただし「領域使用の管理責任」といった国際法に服する。国家は、その領域内で私人により行われる違法行為から、他国、外国人、他国の領域を保護しなければならない(例えば、環境保護について、「トレイル溶鉱所事件」(米国/カナダ)仲裁裁判所判決)。

属人主義(nationality principle; la compétence personnelle)とは、その領域外においてなされた行為(特に犯罪)に関して、その行為者の国籍国という連結により(「能動的属人主義」; la compétence personnelle active)またはその被害者の国籍国という連結により(「受動的属人主義」; la compétence personnelle passive)、その行為を自国の法秩序に置きあるいは処罰する権限をいう。我が国の刑法では、能動的属人主義として刑法3条が、日本国民の国外犯に対して日本の刑法が適用される犯罪を列挙している。また、受動的属人主義としては、刑法4条の二が、条約により日本国外において犯された犯罪でも罰すべきとするものについて、日本の刑法を適用する旨、規定している(「人質にとる行為に関する条約」5条ほか)。

保護主義(protective principle; la compétence réelle)とは、外国で行われた犯罪行為で、特に自国の重大な国家法益を侵害するものを自国の法秩序の下に置く権限である。我が国の刑法では、2条が保護主義を規定しており、内乱、外患誘致、通貨偽造等に日本の刑法が適用される旨、規定する。

普遍主義(universality principle; la compétence universelle)あるいは世界主義(Weltrechtsprinzip)は、国際共同体全体の法益を害する犯罪について、それが行われた場所、犯罪の容疑者の国籍、被害者の国籍にかかわらず、いかなる国もこれを処罰する権限をいう。古くからは、海賊は「人類全体の敵」(hostis humani generis)としていかなる国も処罰できるとされてきた。近年は、多数国間条約によって、普遍主義に基づく処罰を義務づける場合が増えてきている(「航空機の不法な奪取の防止に関するハーグ条約」4条、「民間航空機の安全に対する不法な行為の防止に関するモントリオール条約」5条、「アパルトヘイト罪の撤廃と処罰に関する条約」4条ほか)。

今日、この分野で最も議論が行われているのが、「国際法上の犯罪」(les crimes du droit des gens)である、「ジェノサイド」(genocide; le génocide)、「人道に対する罪」(crimes against humanity, les crimes contre l'humanité)」、「戦争犯罪」(war crimes; les crimes de guerre)(ジュネーブ諸条約の「重大な違法行為」)に対する普遍主義の行使である。このうち、1949年のジュネーブ諸条約の「重大な違法行為」については、同条約が普遍主義に基づく国内法の整備を締約国に義務づけている(それぞれ、49条/50条/129条/146条)。ジェノサイドについては、1948年の「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約」(「ジェノサイド条約」)6条が、犯罪行為地国と国際刑事裁判所のみに裁判権を付与しているが、その起草過程から、その他の場合の裁判権の行使も禁止しないと解されている(1961年「アイヒマン事件」イェルサレム地方裁判所判決、I.L.R., Vol.36, p.39; 「ピノチェト事件」スペイン全国管区裁判所(Audiencia nacional)判決、I.L.R., Vol.119, pp.335-336)。人道に対する罪については、国連総会決議3074(XXVIII)(「戦争犯罪及び人道に対する罪の容疑者の抑留、逮捕、引き渡し及び処罰における国際協力の原則」)に従えば、普遍主義の行使は認められる。ただし、普遍主義の行使は、予審と引き渡し要求の場合を除いて、容疑者が自国領域内にいることを条件とする(2005年万国国際法学会決議)。

2009年01月15日

ジョージ・ギッシング

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ジョージ・ギッシング(George Robert Gissing, 1857年11月22日 - 1903年12月28日)は、イギリスの小説家。

ヨークシャーのウェイクフィールドに生まれる。生まれながらの秀才で古典の教養が高かったが、マンチェスターのオーエンズ・カレッジ時代に街の女を助けるために窃盗を犯し、学者としての人生を棒にふった。その後一時期渡米し、シカゴ・トリビューン誌に短編を寄稿していた時期がある。最初の結婚は夫人のアルコール依存症などで失敗し、2回目の結婚もうまくいかなかった。

労働者階級の悲惨さを実証主義的に描いた初期の作品は売れずに苦労したが、そうした売れない作家の実生活を描いた『三文文士』が皮肉なことに文壇の注意を引いた。この作品 と、階級的な疎外で苦しむ知的な若者の心境を語る『流謫の地に生まれて』、そして19世紀後半に登場した「新しい女」との関連で論じられることが多い『余計者の女たち』が、ギッシングの3大小説と言われる。

日本では従来から、ギッシングは随筆集『ヘンリー・ライクロフトの私記』や紀行文『イオニア海のほとり』、評論『チャールズ・ディケンズ』の作者として有名であったが、最近は小説が再評価されている。

暁の労働者たち(Workers in the Dawn, 1880)
無階級の人々(The Unclassed, 1884)
民衆(Demos, 1886)
イザベル・クラレンドン(Isabel Clarendon, 1886)
サーザ(Thyrza, 1887)
人生の夜明け(A Life's Morning, 1888)
ネザー・ワールド(The Nether World, 1889)
因襲にとらわれない人々(The Emancipated, 1890)
三文文士(New Grub Street, 1891)
デンジル・クウォリア(Denzil Quarrier, 1892)
流謫の地に生まれて(Born in Exile, 1892)
余計者の女たち(The Odd Women, 1893)
女王即位50年祭の年に(In the Year of Jubilee, 1894)
イヴの身代金(Eve's Ransom, 1895)
埋火(Sleeping Fires, 1895)
下宿人(The Paying Guest, 1895)
渦(The Whirlpool, 1897)
都会のセールスマン(The Town Traveller, 1898)
人間がらくた文庫(Human Odds and Ends, 1898)
チャールズ・ディケンズ論(Charles Dickens, 1898)
命の冠(The Crown of Life, 1899)
我らが大風呂敷の友(Our Friend the Charlatan, 1901)
イオニア海のほとり(By the Ionian Sea, 1901)
ヘンリー・ライクロフトの私記(The Private Papers of Henry Ryecroft, 1903)
ヴェラニルダ(Veranilda, 1904)
ウィル・ウォーバートン(Will Warburton, 1905)
蜘蛛の巣の家??短篇集(The House of Cobwebs and Other Stories, 1906)
境遇の犠牲者??短篇集(A Victim of Circumstances and Other Stories, 1927)